養分学生稼働日記

生涯収支がプラ転して気分がいいので書きます

なぜブログを書き始めたか

表題の通りなんですけれども、そもそも僕は養分でした。まあ皆さん最初はそうでしょうが。

昼過ぎに起きて暇だからパチンコ屋に行く。ジャグラーを小突いて運が良ければちょろっと勝ってすぐ帰る。そんな立ち回りもクソもない打ち方をしていました。

転機になったのは去年秋に必殺仕事人の右打ちランプをハイエナしたことです。あのランプが点いている台を打つだけで35000円も勝ってしまったのです。実はそれまで僕は35000円分のメダルを出したことがありませんでした。2000枚出したことがなかったということです。

流石に立ち回りに問題があるだろとこの辺でようやく気付くことができて、そこからは昼過ぎに行くのは変わりませんでしたが、良さそうな台に座るようにして挙動が良ければある程度出るまでは粘るということを徹底しました。そうしたら負け額はそのままに勝ち額は上がるようになりました。5000円勝ちしたらいい方だったのが万単位で勝てるようになってきました。

決定打になったのが仕事人から1ヶ月後のある日、近所のS店でなんとなく座った(養分)戦国乙女Aで7500枚出たことでした。14時半頃から打ったので6000gも回せていません。正直5000枚出すのは適当なAT機に座って、それこそ凱旋ハーデスに座ってGODを絡めてだと思っていたので、まさかノーマルで出るとは…

ド田舎の店で設定6なんか入らないとばかり思っていた僕は、ここで高設定の楽しさを知ってしまいました。そして、戦国乙女Aの高設定を朝から晩まで打ってみたいと思うようになりました。で、次のS店のイベントに並ぶことになります。

このときは打ちたい台(乙女A)に高設定が入っていればいいな~という気持ちで並んでいました。しかし、3回イベントを攻めましたが1回4を掴まされただけで、とうとう戦国乙女Aに高設定が入ることはなく僕はS店には行かなくなりました。気付いた頃には撤去されていました。そこからはパチ屋から足が遠のきました。

 

で、今年になってパチ屋にまた通うようになりましたが、打ちたい台がない僕は昼にノーマルを小突いてチョロ勝ちして帰る打ち方に逆戻りしていました。これには理由があって、暇な日はだいたい昼まで寝ていたので並ぶに並べなかったというのがあります。そういうクソみたいな稼働を続けていたら、5月半ばで今年の収支がマイナス8万になっていました。

少し前までやっていたバイトの貯金でスロット含めて普段の出費を賄っていたのですが、負けすぎてついにその金が2万しかなくなって流石にマズいと思ったので、スロットをやめたいと考えるようになり、スロットに行く時間でバイトをすることにしました。生活習慣の改善も兼ねて朝から働くことにして、近場でコンビニの朝勤をすることにしました。

僕はコンビニをなめていました。この辺人少ねえから暇すぎて死にやしないかなとまで考えていました。しかし、お昼時のコンビニというのは毎日レジ前には長蛇の列。そんな状況で研修中(笑)の僕をレジに置いて家に帰る店長。労働環境への不満からか、僕は13時に勤務が終わると、10分後にはパチ屋に行っていました。そしてバイトで理不尽なことが起こった日ほど勝ててしまっていました。

そして次第に「俺は最低賃金に毛が生えたような金のためにこんなクソしょーもない仕事をしてストレスを溜めているのか?」と考えるようになりました。丁度この頃S店のクセが分かってきてド平日でも勝てるようになっていて、5月終わりから勝ち始めたのをきっかけに、6月に入って1週間で今年のマイナスがなくなりました。

結果コンビニは1ヶ月足らずでやめました。バイトで得られたものといえばコンビニ業務の知識(笑)と煙草の銘柄の知識と早起きする習慣、あと給料が4万円。4時間勤務とはいえ13日働いて4万ですよ。

そして、早起きできるようになってクソ暇なスロット好きの大学生がここに誕生したわけです。何が起こるかは明白です。

すぐに設定狙いをガチでやるようになりました。勝てる店で勝てる台を選んで勝つべくして勝つ。やってみたら案外できるものでした。たまに養分稼働もしてしまいますが、たまにならまあいいかな。

コンビニバイトしてるそこの君。稼ぎに不満があるなら今すぐやめてスロットの勉強をしよう!

 

それで、勝ったら気分がいいし友達が少なくて話す相手もあまりいないので、とりあえずどこかにアウトプットしたいから日記でもつけとこうかなという感じでブログを始めました。

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数年後に自分がこのブログを読んで、「こいつこの頃こういうこと考えてたんだな」と思えたらこれを書いてた価値があると思います。